用語集

このページでは、普段あまり使うことのない、葬儀や、納骨堂、永代供養などに関する用語をご説明しております。

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あ行

一周忌

お亡くなりになられた方の翌年に営む法要(祥月命日)です。

通夜・葬儀・四十九日の慌ただしさが落ち着いたこの一周忌に亡き人を偲ぶと共に改めて亡き人の声なき声と向き合う時間です。また、ご法要はご命日当日に行うことが大切なことではなく、「いのちとは何か」と自らのいのちをもってして今の私たちに問いかけてくださっている日だと受け止めることが大切なのではないでしょうか。

忌み言葉

忌み言葉は葬儀、法事などにおいて、使用を控えるべき言葉です。忌み言葉を使うことはマナー違反となるので注意しましょう。
「ますます」や「かさねがさね」など、同じ言葉が続く重ね言葉は、不幸が続く・重なるというイメージを連想させることから、忌み言葉とされています。 また、「再び」や「引き続き」などの不幸が続くことを連想させるような言葉も避けなければいけません。

そのほかにも、「終わる」「消える」「落ちる」といった不吉な言葉や「四」「九」といった数字は「死」「苦」を連想させるため避けるべきです。死に直接繋がる言葉も当然忌み言葉です。うっかり口にしないように気をつけましょう。

盂蘭盆

7月から8月にかけて、先祖の霊をおもてなしする行事としての、お盆の正式名称のこと。サンスクリット語の「ウラバンナ」を語源としています。通常は7月13日から15日、または8月13日から15日が盂蘭盆の時期ですが、地域によって異なります。
盂蘭盆の風習は、地域や仏教の宗派によって違いますが、一般的には盆棚(精霊棚)と呼ばれる飾り付けを行い、盆提灯を置きます。盆提灯は、先祖や故人の霊が迷わず帰ってこられるように目印として飾ります

盂蘭盆のお供え物であるきゅうりの馬(精霊馬)は、先祖の霊が、足の速いキュウリの馬に乗り家族の元に帰ってこられるよう願いが込められています。
茄子で作る精霊牛は、ゆっくりとお供え物を持って帰ってほしいという願いが込められています。

永代供養

後継者等がいない場合でも寺院等が供養・管理を行うこと。

永代供養は現代の時代を反映しているかのように独身の方や身寄りがない方も年々多くなっていることもあり、いつしか「永代供養墓」として寺院等でお預かりするようになっています。なかには身内に負担を残したくないという思いで永代供養を選択される方もいらっしゃいますが、納めた後の全てを施設側に一方的にお任せするのではなく、縁ある方々が足を運ばれ、仏様となられた亡き人と向き合っていただく場になってほしいものです。

永代供養墓

様々な事情で、お墓参りができない人に代わり、寺院・霊園がそれぞれ定めている年数の間、管理・供養を行うお墓のことです。別名、合祀墓、合同墓、合葬、共同墓、集合墓、合葬式納骨堂などとも呼ばれます。

近年、少子化によりお墓を継承する人がいないことや、お墓を購入する資金がない、ペットと同じお墓に入りたい人など、永代供養墓を望む人が増加しています。
一般的な永代供養墓は、暮石の地下部分に散骨などをして合祀できるようになっています。前面には仏像、香炉、花立などが設置され、参拝できるようになっています。

永代供養料

永代供養料をお納めすることで、お身内の方がいない場合でも納骨された施設側が責任を持って供養・管理を行います。但し、施設によって年数期限の有無等がありますので、事前のご確認が必要です。

永代使用料

墓地の場合は「使用権」を求めるものであって、土地そのものを買うわけではありません。

永代使用料は個人的な判断で賃貸・売却することが出来ず、改葬(遺骨を別の場所へ移動する)等の理由で墓地を返還しても、永代使用料の払い戻しはありません。

エンディングノート

自分に万が一のことが起こったときに備えて、医療・介護、葬儀の希望や、大切な人へのメッセージを書いておくノートのことです。遺言書と違い、法的な書面ではないので、気軽に自分の考えや希望を書くことができます。

具体的には、病気になったときに延命治療をしたいか、どんな葬儀スタイルにしたいかなどの希望を記します。また、生い立ちやこれまでの人生のことを記す「自分史」として活用する人もいるようです。自分を客観的に見つめ直すことで、これからの人生をより充実させるためのヒントにもつながります。

送り火

お盆の最終日に、先祖の霊を送り出すための火をたくこと。お盆の初日には、先祖の霊が迷わず自宅に帰れるように迎え火を、最終日には再び先祖の霊を送り出すため送り火を炊きます。地域一帯の行事として行われることも多く、京都で行われる五山の送り火は特に有名です。

お彼岸

お彼岸はインドや中国にも存在していない日本独特の行事であり、平安時代から始まって江戸時代になってから民衆の行事のひとつになったものです。

覚りの世界を「彼岸」と言い、迷いと苦しみに満ちた私たちの世界を「此岸」と言います。此岸にいる私たちが六波羅密(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の仏道を実践して励む時期であるとされていました。さらに、春秋の時期に太陽が覚りの世界である「西方浄土」たる真西に沈むことも重なってこの時期を「彼岸」としました。

また、「春秋の彼岸は暑からず、寒からず仏法修行のよき時節」とも言われています。日々の忙しさに追われ、自分を見失って過ごしている私たちにとって、日ごろの生き方を振り返り、教えに耳を傾け、本来の自分を取り戻すきっかけでもあり、彼岸たる浄土の光に照らされて、此岸たる私の迷いに気付かされ、真実なるものに目を開かせていただくという意義ある行事です。

お布施

お布施は読経等の対価ではありません。

よく他のご家庭がどのくらい納めているかという質問を頂きますが、ご家庭によって今現在、抱えている状況も背景も異なります。また、今の生活環境に保証はなく、何かの縁によって良くも悪くも変化していくのが常でもあります。お布施とは寺院に納めるというよりも仏様へ納める気持ちが本来のお布施ではないでしょうか。お布施も仏道実践のひとつです。よくよく仏様とご相談ください。

お盆

日本のお盆は仏教の教えとは別に中国の儒教という教えの影響を受けた先祖供養などの要素が結びついて今の私たちに伝わっている行事です。この時期になりますと迎え火や送り火をどうしようか、キュウリやナスはどこにお飾りしようかしらという声が聞こえ始めます。迎え火や送り火は亡き方々が迷わないようにという思いであり、またキュウリやナスは馬や牛に例え、少しでも早く帰って来てほしい、そしてゆっくり帰ってほしいという心情の現れを毎年、お盆として行っています。

また、お盆の時期は短く13日に始まり16日には終わります。確かにお盆として過ごしていた時間は1年でたった4日間ですが、私たちは亡き人のことをたった4日間しか偲ばないのでしょうか。そんなことはないはずです。毎日でも手を合わすたびに亡き人と向き合っているはずです。ご生前の頃は仏教と無縁だったかもしれない亡き人が自らの死をもって、いのちの無常、尊さを手を合わせている私たちに毎日伝えてようとしてくださっているのではないでしょうか。だとすれば、お盆という短期間だけを特化して亡き人が帰ってくる、どこにいる、ということではなく、実は365日、毎日私たちの心の中で共に生き続け、いのちそのものを問いかけてくださっているはずです。そうしますと、その毎日が私たちにとってのお盆であり、そこに「迎え火、送り火」等が必要なのでしょうか。

そして、仏教ではこのお盆を『盂蘭盆』と言い、元は古代インドの言語「ウランバナ」という言葉を中国の方々が音写(耳で聞いて漢字に)したものです。この「ウランバナ」は「倒懸」と言い、「逆さに吊るされた最も苦しい状態」を意味しています

お釈迦様のお弟子である目連尊者は亡き母が餓鬼道という世界で苦しんでいることを知り、お釈迦様へ相談します。するとお釈迦様から「雨季の安居(修行)が終わる日(7月半ばごろ)に自宅でさまざまなお供えをして、修行僧によってお勤めして、功徳を積めば母が救われる」という教えを頂き、その通りにしたことで、目連尊者の母が救われていくのがお盆の元になる「盂蘭盆経」のお話です。ただ、この目連尊者の母が餓鬼道で苦しんでいたお話を通して、もがき苦しんでいるのは人間道に生きている今の私たちであることを受け止められるかどうかが大切なことかもしれません。大切な家族を失い、一番頼りにしているはずの自分自身が老いや病によって頼りきれる存在ではない事実に戸惑い、迷い苦しんでいる姿を言い当てているのです。亡き人の為と思って行っているお盆やその他の行事も実は亡き人が人生を右往左往している私たちへ大切なことを問いかけてくださっている時間であったと言っても過言ではありません。

また、餓鬼道や地獄に落ちてもおかしくない煩悩まみれなこの私たちが餓鬼道や地獄に落ちることのない南無阿弥陀仏の救いの中に今あることを亡き人を縁として目覚めさせていただいたとき、浄土真宗が表現している『歓喜会』としてのお盆を迎えることが出来ると思います。

か行

改葬

すでに埋葬されている方を別の場所へ移動することです。

ご実家にお墓があっても遠方でなかなかお参りに行けないという声を聞きます。今現在の生活拠点に近いところで、手を合わせたいと思い立ったときにいつでも気軽にお参り出来るように遺骨を移動されるご家庭も近年は多くなっています。

改葬許可証

どれだけ親しい方の遺骨でも私たちの意志だけでは移動出来ません。現在、遺骨が埋葬されているお墓がある自治体に申請書を頂き、改葬対象者すべての詳細を記入して提出します。自治体から発行された許可証は移動予定の遺骨と共に新しい納骨先に提出します。

家紋

各家に与えられている紋章のこと。その家や一族のことを示すために、日本で古くから使用されてきました。
家紋は全国に多くのデザインがあり、今現在確認されているもので2満近く存在していると言われています。
家紋を意識する機会が減った現在では、自分の家の家紋がわからないという人も多いと思います。暮石には家紋が刻まれていることがよくあるので、確認してみるといいでしょう。

棺桶

故人の遺体を納めるための箱。お棺とも呼ばれます。
棺に遺体を納める習慣は、日本では弥生時代から続いていると言われています。当時は今と違い、土葬が主流だったようです。昭和初期までは、火葬設備が十分でなかったことなどから、土葬が続けられていたそうです。現在では、一部の地域を除き火葬が義務になりました。

管理費

施設の清掃や共有スペース等の維持・管理として使われています。

永代供養料と異なり、施設利用の申込後に利用者側が納める費用です。滞納が続きますと、お預けされている遺骨が合葬(土に還すこと)される場合もありますので、各施設にて事前の確認が必要です。

忌中

故人の近親者が喪に服している期間を忌中と言います。忌中の期間は、仏教の場合、四十九日まで。四十九日には故人の魂が家を離れるとされていて、この日を忌明けとするのが一般的です。

忌中には結婚式などの慶事への参加を控えます。また、神社への参拝や年賀状も控えます。

管理費

施設の清掃や共有スペース等の維持・管理として使われています。

永代供養料と異なり、施設利用の申込後に利用者側が納める費用です。滞納が続きますと、お預けされている遺骨が合葬(土に還すこと)される場合もありますので、各施設にて事前の確認が必要です。

享年

亡くなった時点での年齢のことで、「天から受けた年数」のことを意味する仏教用語です。

享年は日常生活において使用することの多い満年齢のほか、数え年(生まれた瞬間が1歳、翌年1月1日を迎えると年齢に1歳加算される)で表される場合もあります。近年では、数え年の使用の減少と共に、満年齢を用いることが増えています。

袈裟

仏教において宗教者である、僧侶が身につけている服のこと。三衣(さんね)とも呼ばれます。その起源は、仏教発祥の地であるインドとされています

香典

故人の供養のために、霊前に捧げる金品、お供え物のこと。

香典の習慣は古くからあり、遺族の負担を減らすために始まったと言われています。故人にゆかりのある人々の相互扶助の心から生まれたものと言えます。

香典返し

お通夜や葬儀で受け取った香典に対しての返礼品のこと。お悔やみをいただいた方々へ、お礼の気持ちを伝えるために贈るものです。

香典返しは、弔事が滞りなく終えたという報告の意味合いも持つため、忌明けに贈ります。

合葬・合祀

逝去された後すぐに土へ還すことを躊躇う気持ちもあり、ひとまず骨壺のままで納骨される場合も多いと思います。ただ、私たちの体が生身であり、自然摂理の一部であるとすれば、遺骨が土に還ることも自然への回帰と受け止められるのではないでしょうか。ちなみに地域によっては四十九日等の納骨時に合葬することが慣わしになっているところもあります。

さ行

三回忌

故人が亡くなった日から満二年後に行われる年忌法要。「三回忌」という言葉から、故人が亡くなってから三年後に行われるという認識をされがちですが、正しい時期は数え年で計算されます。亡くなった日を、一回目の忌日として数えるため、翌々年の忌日は三回目ということになります。

一般的には親族や故人の友人などを招いて供養を行います。

年忌法要は、必ず亡くなった日に行わなければいけないということはなく、法要に参加する人の都合のいい日を選んで行われることが多いです。

散骨

粉骨(細かく砕いたり、粉砕して粉状にしたもの)を、海や山など故人ゆかりの地に撒いて、故人を供養することを言います。

粉骨は個人でも可能ですが、粉骨業者に頼むことが一般的です。散骨をする際には、必ず散骨可能な場所であるか確認しましょう。

四十九日法要

亡くなられてから49日までの期間を仏教では「中陰」と言います。

仏教が始まる前の古代インドでは私たちが生きている人間界をはじめとるす餓鬼・畜生・地獄などの六つの世界で生死を繰り返す「輪廻転生」の思想がありますが、仏教ではこの六つの世界で繰り返す輪廻を「迷いの世界」と捉えています。その為、この六つの迷いの世界を超えたところに覚りの世界がある考えていた仏教では六つの世界の「6」という数字を超えた「7」を意識していたこと、また古代インドでは7進法と言って「7」という数字を満数にしていたことも重なり、毎7日ごとの初七日、二七日、三七日と法要を行い、7日ごとの7回目にあたる49日目を「満中陰」と呼んでいます。

そして、仏教ではあくまで「人は生死の輪廻を繰り返すことなく、この世界での縁が尽きたとき、人は覚りの世界に入る」とされていますので、亡き人が49日までの期間でさ迷うということではないと思います。

また、浄土真宗での四十九日は亡き人への追善供養等でなく、あくまで「のこされた遺族の心が整理されてくる時間」であると捉えており、実は亡き人側の話ではなく、のこされた私たち側の話だと言われています。  ただ、そうは言っても大切な人を失った悲しみがたった49日という短い時間で消えるわけではありません。また大切な家族を失った悲しみをたった1回の通夜・葬儀だけでは受け止め切れないはずです。だからこそ、毎七日ごとの中陰法要や四十九日法要、その後の新盆やお彼岸と何度も何度も法要の場に自らの身を置いて大切な人が亡くなった事実を受け止めつつ、亡き人の声なき声に向き合おうとされているのではないでしょうか。

終活

「人生の終わりのための活動」の略語で、2012年には新語・流行語大賞にもノミネートされた言葉。

誰にでも必ず訪れる死と向き合い、人生の最後を迎えるための様々な準備をしながら、これからの人生をより充実したものにするための活動です。

当初は、葬儀の計画やお墓、相続のことなどについて事前準備をすることを指していましたが、「残された家族に負担をかけない」「最後まで自分らしく生きる」「残りの人生をより良いものにする」といった活動として、解釈がポジティブに変化してきています。

具体的には、大切な人へのメッセージや自分の希望を記す、エンディングノートの作成をする人が多くなっています。

終活を行う理由として「家族に迷惑をかけたくない」という理由をよく耳にします。ご家族への配慮はもちろん大切なことですが、最も大切なのは「これからの人生をより充実したものにする」ことです。

今までの人生を振り返り、やり残したことを書き出すことから始めてみるのもいいでしょう。現役時代にはなかなかできなかったこと、やりたいと思っていたことを再確認することで目標ができ、セカンドライフで生きる活力になります。

終活をすることで、限りある時間を有意義に過ごそうという気持ちが高まり、充実した人生を送れるようになるのではないでしょうか。

宗派

同じ宗教内での派閥です。

飛鳥時代に百済から伝播された仏教は時代を経て現在、十三宗五十六派あると言われています。宗派によって所作等の違いはありますが、仏教徒として目指している方向は同じだと思います。

樹木葬

暮石ではなく、樹木を墓標として用いる埋葬方法のこと。自然回帰の概念によってはじめられた埋葬方法で、遺骨を土に埋葬し、その上に木や花を植樹します。埋葬場所は、墓地として使用する許可を得た敷地で行います。どこにでも埋葬していいものではありません。

寿陵

生前に墓地や納骨先を決めることです。

最近、「終活」という言葉が聞こえているように私たち自身が自らの抱えている真実と向き合う方が多くなりました。避けられることであれば考える必要もないはずですが、いずれ死と向き合わなくてはならない事実・真実は誰もが抱えている問題です。生前に納め先を決めておくとよくないのではないかという声を聞くこともありますが、因果関係はないと思います。 時折、大切な方を失った後にご家族の方が納骨先をどこにすべきか迷っている姿を見かけます。ご家族を迷わさないためにも生前でのご検討をお勧めします。

承継

先祖や故人からお墓や仏壇を引き継ぐこと。受け継ぐ人を承継者と言います。一般的には、亡くなった人の長男もしくは長女が承継者であるとされています。

近年では生活環境の変化に伴い、お墓の承継が大きな負担となっていることもあります。
放置されているお墓も増えています。こうしたことから、残される人の負担を軽くするために墓じまいをする人も増えています。

寿陵

生前に墓地や納骨先を決めることです。

最近、「終活」という言葉が聞こえているように私たち自身が自らの抱えている真実と向き合う方が多くなりました。避けられることであれば考える必要もないはずですが、いずれ死と向き合わなくてはならない事実・真実は誰もが抱えている問題です。生前に納め先を決めておくとよくないのではないかという声を聞くこともありますが、因果関係はないと思います。 時折、大切な方を失った後にご家族の方が納骨先をどこにすべきか迷っている姿を見かけます。ご家族を迷わさないためにも生前でのご検討をお勧めします。

初七日

故人が亡くなった当日から数えて七日目のことを言います。初七日は、故人が三途の川のほとりに到着する日とされています。無事に三途の川を渡れるようにお祈りするという意味の下、初七日法要を行います。

最近では、葬儀・告別式と同日に初七日法要をするケースもよく見られます。

新盆

故人が亡くなってから初めて迎えるお盆のことを指し、初盆とも呼ばれます。四十九日の忌明け前にお盆を迎える場合には、翌年のお盆を新盆として供養します。新盆は、故人の霊が初めて帰ってくる火なので、親族や生前故人と付き合いの深かった友人や知人を招いて法要を営みます。

た行

檀家

寺院を支えるということよりも、自らの力によって礼拝・信仰の場を作られた、その結果が寺院だと思います。

どれだけ明るく振舞っている方でも人には言えない苦しみや悲しみを抱えているものです。その苦しみや悲しみを今の生活環境内では誰も受け止めてもらえないことも多いかもしれません。どれだけ強がっている方でもやっぱり人間は弱いものです。その自分の全てを受けて止めてくれる場所が必要だと思います。それがまさしく寺院ではないでしょうか。

寺院をお預かりしている住職は「住持職」とも言います。これはまさしく法の灯を持つ職です。寺院とはその法の灯がある場所です。檀家であるということは暗い精神世界を迷い続けている私たちを解き放つ法の世界との深い縁を持っていることを意味しています。

通夜

仏式の葬儀において、葬儀の前に行う儀式を通夜と言います。

親族や友人など故人と親しかった人が集まり最後の夜を過ごします。元は夜通しで故人を守ることを意味し、そのため通夜と呼ばれていました。

近年では、1〜3時間程度の儀式的なものが多くなっていて、こうした通夜を半通夜と言います。また、家族や身内だけで行う通夜のことを仮通夜と言います。

塔婆

お墓の後ろに薄く細長い木の板が立てられているのを見たことがあると思います。これが塔婆です。塔婆は故人の霊を供養するために立てられるものです。卒塔婆、板塔婆と呼ばれることもあります。宗教によってはこの塔婆を立てないこともあります。

な行

納骨

故人の遺骨を入れた骨壷を、お墓などに安置することを納骨と言います。近年では生活環境の変化に伴い、納骨堂に納めたり、永代供養にしたり、散骨にしたりと納骨も多様化してきています。

納骨を行うタイミングは、一般的に四十九日法要と同日に行います。必ずこの日までにという決まりはなく、一周忌法要と合わせて行っても問題ありません。できれば三回忌までには納骨を済ませるようにしましょう。

納骨堂

遺骨を屋内施設でお預かりする場所です。

室内で棚もしくはロッカー形式でお預かりしています。雪の多い地域では積雪によってお墓参りが出来ないこともあり、納骨堂を設けていたようですが、近年では都市部でも多く見かけるようになっています。納骨堂は一年を通しての四季・天候を気にする必要もなく、いつでも好きな時にお参り可能なこともあって今までにないお参り方法があります。

納骨壇

納骨壇とはお墓の一種でもあり「ロッカー式、仏壇式、屋内墓石式、機械式」とさまざまな形態がありますが、どれも屋内に設置されている為、雨風等を心配することなくお預けできます。また、この納骨壇が設置されている建物を納骨堂といいます。

は行

墓じまい

墓じまいとは、お墓を片付けて更地に、墓地やお寺に敷地を返還することを言います。「廃墓」などとも呼ばれます。

少子化や核家族化などにより、後継者がいなくなることで墓じまいを検討する人が増えています。墓じまいを行なった後の遺骨の行き先として、合祀墓や永代供養墓があります。

分骨

骨壺に入っている遺骨の少量を小さな骨壺に分けることです。

時折、分骨するのは悪いことではないかとご質問を受けますが、お釈迦様は火葬された後、八つに分けてストゥーパ(塔)に遺骨を納められたと言われています。また、浄土真宗では各本山へ分骨することもあり、決して珍しいことではありません。

分骨証明書

骨壺に入っている遺骨を分けた際に頂く証明書。

ペット葬儀

亡くなったペットを供養するために行う葬儀のことです。
長年家族のように暮らしてきたペットを、人間と同じように火葬、読経などをして弔います。実際には火葬時もしくは納骨時等に申し出ることになります。分骨を納骨するときに必ず納骨先に分骨証明書を提出しなくてはなりません。納骨されるまで大切に保管しておきましょう。

法事

亡くなった人の霊を供養するための行事、仏教用語。

一般的に法事と法要は同義語としている方が多数だと思いますが、ニュアンスが少し違います。

法要は、故人の霊魂を供養するために、親族や、故人と生前親しかった友人などが集まって、故人を偲びます。僧侶に読経を行ってもらい、遺族から順に焼香を行います。法要が終わると、お墓参りや会食が行われます。この一連の流れのことを法事と言います。 法要は葬儀が終わり、四十九日の忌明けまで7日ごとに行われます。その後は一周忌、三回忌、七回忌と年忌法要が行われ、通常は三十三回忌で打ち切りとなります。

菩提寺

先祖代々のお墓があるお寺のことです。菩提所と呼ばれることもあります。

菩提寺の菩提とはサンスクリット語で「悟り」を意味します。菩提寺は、故人が悟りの境地に達することができるよう、願いを込めて建てられたお寺のことを指していました。現在では、先祖代々のお墓があり、葬儀や法要を執り行う場所を指すときに使われています。

や行

遺言

自分の死後について、言い残す言葉。家族や友人へメッセージを残したり、自分の葬儀屋お墓に関する希望、財産相続などの意思を表すもの。

遺言の中でも、財産分与などに関しては、国で定められた形式・書式による遺言書の作成が必要になります。

早稲田納骨堂へのアクセス

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運営寺院:浄土真宗 真宗大谷派 龍善寺(本山 京都東本願寺)

住所:東京都新宿区早稲田町77番地

電話番号:03-3209-4709

アクセス

東京メトロ(地下鉄)東西線 早稲田駅より徒歩1~2分

外苑東通り方面出口1を出て左へ100m 早稲田通り沿い左側

首都高速道路 「早稲田」出口より2分

早稲田通り沿いの龍善寺専用駐車場 第1駐車場 7台 第2駐車場(小型車専用) 3台 境内 車いすの方用2台です。早稲田出口を直進し弁天町交差点を右折400m右側(手前にある専用駐車場には、そのまま右折で入れます。)/早稲田通り沿いのパーキングメーター/ 裏の公園横のコインパーキングもご利用ください。